そうか…
松坂は日本で12年振りの勝利か
Result
4月30日(月) ナゴヤドーム
中日 3対1 横浜
勝 松坂 1勝2敗
敗 飯塚 0勝2敗
S 田島 0勝1敗5S
本
24試合 13勝11敗 3位
Editorial
最近は若いファンの方が増えて来たこともあるし、松坂がどうのこうのと…そんな話をしてもピンと来ないという方が大部分なのかも知れない。
松坂世代だの、平成の怪物だの、そんな言葉も忘れられた頃に新聞の片隅の記事にひっそりと添えられる程度。ネットでネタにされるのが関の山というところか。
松坂は1998年のドラフト会議を経てライオンズに入団。1998年と言えば皆さんご存知のセカンド・インパクト。大魔神・佐々木にマシンガン打線が38年振りという優勝を齎したハマ☆ベイファンにとっては特別な年。
人生初の優勝にのぼせ、この栄華は未来永劫、永遠に続くものだと思っていた。眩しいほどの輝きを放つ選手達も、ハマスタを埋める満員のお客さんも…ずっと、ずっと。
横浜の年とも言われたこの年のドラフト会議において、当然ベイスターズに入団するものと誰もが信じて疑わなかった松坂を引き当てたのは、日本シリーズで苦渋を舐めたライオンズ。
我々の栄華が音もなく崩れ始めた、これがその第一歩であったのだと…そう気が付いたのは、それから何年経ってからのことだっただろうか。
高卒ルーキーがいきなり最多勝、当然のように新人王を獲得し、日本シリーズの常連となるライオンズ。
一方のハマ☆ベイは99年〜01年はセカンドインパクトの遺産を食い潰すことで、何とかAクラスに踏み止まるも、あの魅力的だったチームは何処へやら…その後は皆さんご存知の通り。
松坂が入団していたら
あの時、クジを引き当てていたら
止まった時間
掛け違えたボタン
あの暗黒期はあまりにも長過ぎた
大変お恥ずかしい話ではあるが、この間の約10年ほどはハマスタに足を運ぶこともなく、チラチラとスマホで試合経過を追う程度。テレビ観戦ですら、試合開始から終了まで見続けた試合は、果たして年間何試合あったことか。
負け続けるチーム
日に日にお客さんが減るスタンド
何が悪かったのか
どうすれば良かったのか
序盤で大量失点、手も足も出ずにワンサイドで負けたかと思えば、勝てる試合をミスだの四球だので当たり前のように逆転負け。
そんな毎日がどれだけ続いたか。
もし、松坂が横浜に入団していたら…実にバカバカしいイフではあるが、100万分の1でも1万分の1でも、その答えを知りたかった。
松坂が日本球界に復帰すると聞き、何があっても横浜に戻って来て欲しい。ベイスターズのユニフォームを着て欲しいと思っていた。
その願い叶わず、ホークスに入団してからのことは言うまでもないだろう。高額の年俸を貰いながら、公式戦で投げることなく、故障とリハビリを繰り返した4年間。
一方のハマ☆ベイはその間に、新たな親会社であるDeNA殿の尽力もあって、悲願のCS初進出から、昨年は日本シリーズへ。皮肉にもチーム再建を果たすこととなった。
忘れかけた幻想
薄れた幻影
それでも
間違いなく、我々の前に立ちはだかっていたのは、あの松坂大輔だったのである。
あの投げ方、あの荒れ球。
そして、あの佇まい。
ずっと楽しみにしていたこの日の登板。
心待ちにしていたこの日の対決。
その松坂に
自慢の打線が沈黙した
力で抑え込まれたのである。
そうか、そう来たか。
果たして幻影は現実と重なったのか?
よく、分からない。
分からないけど、我らがハマ☆ベイが全力で倒すべき、打ち崩すべき厄介な相手がいたことには間違いないだろう。
ファンの声援を一手に受け、スタジアムを支配するとんでもない相手。
幻想ではなく現実なのである。
次は、
次は絶対に負けんよ!!