ライト後方にウィング席が新設され、70周年の記念イヤーの第一歩を踏み出した2019年のベイスターズ。チームも開幕から順調に白星を積み重ねている。
今永の復活や、若手の台頭。筒香と山崎康晃を中心とした主力がしっかりと仕事をこなし、投打がガッチリと噛み合ったチームに期待するのは…勿論、歓喜のサードインパクト。記念イヤーに優勝という花を添えることだろう。
そんなおめでたい年に、もうひとつおめでたい節目の記録。チーム通算4000勝というメモリアル。
コツコツと4000勝して、負けはいったいいくつなんだと、そんな野暮は言いっこなし。偉大なるOBの方々が積み上げてきた歴史の重さに、素直に敬意を払おうではないか。
70周年に4000勝というメモリアルなシーズンは、数々のイベントに感動的なムービーといった、DeNA殿お得意の手法で大きな盛り上がりを見せている。
雨で中止になってしまったものの、大洋ホエールズ発祥の地、下関での記念試合。記念グッズに記念ユニ、そしてOBの方々を招いた数々のイベントと深いリスペクト。
1分間に凝縮された4000勝の歴史を彩るのは伝説の三原マジックと秋山、土井の黄金コンビ。チーム初の2000本安打の松原誠に、200勝の平松政次。斉藤、遠藤にオバQ田代がいて…記憶に新しい1998年、歓喜のセカンドインパクト。
涙なしでは見られない4000勝の歴史。
https://youtu.be/wI0pQUaANy4
そしてその時、ふと沸き起こる疑問。
誰だ?
誰やねん?
記念すべき大洋ホエールズの初勝利、4000勝へと続く第一歩を踏み出したとされる、セピア色をした、この一枚の写真。
今西錬太郎という投手らしい。
ウン10年、プロ野球ファンを続けてきて、失礼ながら全く存じ上げなかったその名前。
とにかく気になったので、すぐにWikipediaで調べてみると、1950年に発足した大洋ホエールズに入団する前は、1リーグ時代の阪急ブレーブスに所属。阪急所属4年間の通算で93完投して何と70勝。とんでもないレジェンドであることが判明した。
大きく振りかぶった、この写真からすると速球で押す本格派の投手というイメージを抱いていたが、シュートを武器としたアンダースローの投手だったとのこと。
そして特筆すべきは21勝を上げた1947年。川上、青田ら錚々たる顔ぶれの並ぶジーヤンツ相手に阪急が勝ったのは9勝で、何とその全ての勝星は今西が上げたものだという。
ジーヤンツキラーの元祖もこの今西錬太郎氏であったということか。
氏のことについてネットでいろいろ調べてみると、ある新聞のコラムにぶち当たった。
朝日新聞の夕刊に夏の甲子園100回を記念して「白球の世紀」というコラムが連載され、その中で今西錬太郎が取り上げられていたのである。
悪名高い(笑)朝日新聞の記事ながら、実に読み応えのある良質な記事なので、お時間のある方は是非とも一読を頂きたい。
この記事によると、どうやら大洋に移籍してきてから大きく成績を落とすことになった要因は、試合中に利き腕に打球を当ててしまったことらしい。
この辺り、大洋ホエールズらしい悲哀を感じてしまうのは果たして自分だけなのか。
大洋入団後の成績は3年間で14勝。過去の投球を取り戻すことは出来ず、翌年には古巣阪急に復帰するなどしたが、その後の3年間で4勝22敗。実働10年でユニフォームを脱がれている。
その後は高校野球の監督としてチームを甲子園へと導くなど、引退された後も日本のアマチュア野球の発展に貢献をされたとのこと。
美しい
何とも美しい野球人生ではないか。
実に大洋らしく儚い…
そこはかとなく漂う哀愁よ
嘗て、メジャーにおいてイチローが数々の安打記録を更新した際、ジョージ・シスラーという1900年代初頭のプレーヤーにスポットが当たったことがある。
カビの生えた記録に光を当てたと…そんな報道もあったように思うが、まさにこの70周年、4000勝というメモリアルにおいて、カビの生え…
いやいや、とんでもない
この今西錬太郎氏は
御歳、94才
今でも御健在とのこと!
そうか…
リスペクトすべき
大事な大事な我々のレジェンド
長生きして欲しいやね
元気でいて欲しいやね
こうして、その名前と
残された業績を語り継ぐのは
今、こうして
幸せなハマ☆ベイライフを送っている
僕らの大事な仕事なんだよな
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