華やかな日本シリーズに見入りつつ、ふと、物思いに耽ったところで、ある衝撃的な事実に気が付いてしまった。
それは横浜ベイスターズが横浜DeNAベイスターズとなった1年目のオフ。中畑清が腐り切ったお荷物チームをスクール⭐︎ウォーズの山下真司の如く、涙に濡れた鉄拳をふるい、挨拶をすることから叩き込んでいた漆黒の日々。
そんな最中に立ち上げた拙ブログが
何と来年で、
10年目を迎えようとしているのである。
16歳の可憐な乙女が、初めての朝を知り、溜め息を覚え、毎年のように翼を折りながら、歩み続けてきたこの年月。開設当初から湾岸クライシスを御愛読されている方も同じように10歳近く、お年を召されたということになるんだろう。
10年かあ(笑)
この間に就職された方、転職された方、結婚された方、お子さんができた方、そして何も変わっていない方。十人十色、時に笑い時に泣き、歯を食いしばって生きて来られたんだろう。
おめでたいことに、ベイスターズは暗黒を抜け、CS初進出から日本シリーズという桃源郷へ。閑古鳥の鳴いていたハマスタは連日のように満員御礼、球場を拡張するまでの人気球団に生まれ変わった。
辛いこと、悔しいこと、いろいろあったけど、ひと言で言えば楽しかったんだよな。うん。ものすごく楽しくて、あっという間に過ぎ去った、まさに人生の1ページ。
ベイスターズにとっても自分にとっても、かけがえのないこの時間を皆様と共有できたこと、苦楽を共にできたことは最高の喜びであり最高の贅沢であって、人生において珠玉とも言えるハイライト。
そのベイスターズの監督に、昨年は三浦大輔が就任し、このオフには鈴木尚典が、斎藤隆が、相川が、石井琢朗が、そしてあの小谷さんまで戻って来られるというサプライズ。
円満に引退したりとか喧嘩別れとか、人それぞれ、悲喜交々あって出て行った人、残った人。僕らはその別れに涙を拭い、拍手を送り、ファンの方々それぞれの想いとともに彼らを送り出し、その背中を見届けて来た。
新しい環境で外様という視線を浴びつつ、自分の腕一本で結果を残すこと、信頼を勝ち取ること。その難しさは、社会人として荒波を乗り越えてきた皆さんが誰よりも身に染みていることなんだろう。努力を重ね、飲みたくもない酒を飲み、その地位を積み上げることの難しさ、軽々しく口に出すことも憚られる、気遣いと苦労。
「まるで浦島太郎」だと
石井琢朗は語ったのだとか。
そうか、確かにそうなのかも知れない。
石井琢朗がベイスターズを後にしてから13年。その歳月を言い表す言葉として「浦島太郎」というのは、これ以上なく的確にして分かりやすい表現。
うん、
でもね、
僕たちはずっとここにいたんだよ。
100敗に手が届こうかというシーズンも
毎年主力がFAで抜けようとも
横浜を出る喜びだとか
身売りだとか
それでも僕らはずっとここにいて
このチームを守り続けてきた
大袈裟か?
誇張してるか?
いやいやとんでもない。
座席の周囲を若者達に囲まれて、昨今のノリに付いて行けずに、ビール片手に小さくなって応援しているお父さんも。よたよたと急な階段を登り、自分の席を探すお婆ちゃんも…皆んなこのチームを守って来たんだよ。
必死になって守って来た。
だからこそ、今
ベイスターズはここにある。
それは、この湾岸クライシスを10年近く続けてきたからこそ分かったこと、理解できたこと。無垢でお人好しで、いい加減で心配性で、内気なのにフレンドリーで、それでいて恐縮するほどのお節介焼き。
コメント欄に誹謗中傷が書き込まれようなら全力でフォローを頂き、落ち込んだ時には励まし、くだらない更新であっても、バカにすることなく微笑んでくれた…ひと言で言うなら「超最高」の皆さんが教えてくれた、愛するということの尊さよ。
そんな方々と共に
僕らはずっとここにいた。
そしてこの先も
僕らはずっとここにいる。
ブログの更新が週一回になろうが
月一回になろうが
はたまた、
年一回になったとしても
入れ歯をガタガタ言わせながら
津田沼から
愛を叫び続けるど
最下位よし
Aクラスよし
このチームがある限り
僕らは愛を叫び続けるのだよ
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